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パラアスリートにとって国際大会の最高峰である「東京2020パラリンピック競技大会」(2021年 8月24日~9月5日) が開催されました。日本選手の活躍が連日報道され、多くの感動を私たちに与えてくれたのは記憶に新しいことと思います。
東京2020パラリンピック競技大会での日本選手団の結果は
金メダル 13個、 銀メダル15個、 銅メダル 23個 計51個
そして、メダルには届かなくとも、素晴らしい試合がたくさんありましたね。さらに、参加した各国のパラアスリートの能力の高さにはとても驚かされました。ただ、いつからパラアスリートの活躍を見ることができるようになったのか、ちょっと疑問に思ったので、その歴史を調べてみました。
身体に障がいのある方々が、治療や体操としてスポーツをしていたとういう記録は古くからありました。障害のある当事者自身がスポーツの組織を作り始めたのは19世紀以降で、現在のパラリンピックの原点となったのは第二次世界大戦(1939~1945年)後のことです。
戦争中、負傷兵のためにイギリス郊外のストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科が作られ、終戦後の1948年7月29日に、医師であるグットマン卿が同年に開催されたロンドンオリンピックに合わせて、同病院内で車いす生活となった英国退役軍人たちによるアーチェリー大会を開催したのが、パラリンピックの始まりです。
1960年のローマで開催されたオリンピックの開催後に開かれた、国際ストーク・マンデビル大会(23か国、400名が参加)で、のちに第1回パラリンピックに位置付けられています。当初は、Paraplegic Olympic(対麻痺者のオリンピック)であり、「パラリンピック」という名称は、1964年東京大会の際に日本で名付けられた愛称でした。東京大会では、車いすを使用する障がい者だけでなく、すべての身体障がい者が参加できるようにと2部制で開催されています。
1976年モントリオールオリンピックと同年に開催されたトロント大会から、脊髄損傷者に加え、視覚障がい者、切断の選手が参加するようになりました。同年、スウェーデンで開催された、切断の選手が参加した冬季大会が、第1回冬季パラリンピックと位置付けられています。
1985年 IOCは国際調整委員会(ICC)がオリンピック年に開催する国際身体障がい者スポーツ大会を 「Paralympics(パラリンピックス)」としました。ただ、従来のパラリンピックという言葉は、対麻痺者(Paraplegia)のオリンピックという意味であったことから、身体障がい者の国際大会になじまなかったため、ギリシア語の接頭語であるパラ=Para(沿う、並行)+Olympic(オリンピック)と解釈することになりました。
1988年 ソウルパラリンピックには、61か国3057名の選手が参加しました。この大会はオリンピックとパラリンピックがはじめて連動した大会でもありました。ただし、聴覚障がい者、知的障がい者の参加は認められていませんでした。
1989年 国際パラリンピック委員会(IPC)が創設されました。リハビリの延長ではなく、競技性の高いスポーツの国際大会へと発展していきます。
1998年 長野パラリンピック冬季競技大会開催後の1999年、日本では公益財団法人日本障がい者スポーツ協会の内部組織として厚生省の認可を受け、日本パラリンピック協会が発足しました。
2000年 第11回シドニーパラリンピック大会の会期中、IOC会長とIPC会長の話し合いにより「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」との基本的な合意に達しました。
現在の競技の詳細は、日本パラリンピック委員会(JPC)ホームページをご覧ください
<夏季パラリンピック 22競技>
アーチェリー、陸上競技、バドミントン、ボッチャ、カヌー、馬術、自転車競技5人制サッカー、ゴールボール、柔道、パワーリフティング、ボート
射撃、シッティングバレーボール、水泳、卓球、テコンドー、トライアスロン、
車いすバスケットボール、車いすフェンシング、車いすテニス、車いすラグビー
<冬季パラリンピック 6競技>
アルペンスキー、バイアスロン、クロスカントリースキー、アイスホッケー、
スノーボード、車いすカーリング
北京2022パラリンピック冬季競技大会 2022 3/4~3/13 に開催されます!
横山医院 理学療法士 横井 宣恵